絶対に、どんなことがあっても
フレームの中には入らない自分。

福永 信さん

デビュー時より前衛的/実験的、それでいてポップでユーモアのある作品を発表し続けている福永さん。現代美術に造詣が深いことでも知られますが、今回メインで取り上げられたのはスナップ写真。作品との影響関係をはじめ、興味深い話がうかがえました。
(記事中にも福永さん撮影のスナップをいくつか使わせていただき、写真の下に◆がついている写真がそれに当たります)

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福永 信

1972年、東京生まれ。京都市在住。京都造形芸術大学芸術学科中退。1998年、短編「読み終えて」で第一回ストリートノベル大賞受賞。著書に『アクロバット前夜』、『あっぷあっぷ』(村瀬恭子との共著)、『コップとコッペパンとペン』、『アクロバット前夜90°』(『アクロバット前夜』新装版)、『星座から見た地球』『一一一一一』『こんにちは美術』(編著)、『三姉妹とその友達』、『星座と文学』。これまでの創作、批評などの活動が評価され、2015年第5回早稲田坪内逍遥奨励賞を受賞。

第1回動物的に、いい加減な感じに、
被写体を撮る

――スナップはいつくらいから撮られてるんですか?

福永学生のときからです。演劇をやってたんで、その制作時の記録みたいに撮ってましたね。

――記念写真的な感じではないということですね。

福永被写体がこちらを見ていない状態で撮るのが好きなんですよ。「誰かが何かをしているとき」を切り取るのが好きなんです。あとは、「誰かが誰かを見ている」状況とか。

――常に写真を携帯して、何かあればすぐに撮れる準備をしている感じですか?

福永常時ってほど身構えているわけじゃないですけど、面白そうな人がいるときとか、面白そうなことが起こりそうな瞬間とか、そういうのを嗅ぎ分けて、パッと撮ります。「この瞬間を切り取る」といった感じではないので、そういう意味ではいい加減なんです。例えば、これは『三姉妹とその友達』の表紙を撮影していたときの風景ですね。

福永 信さん

福永 信さん

福永名久井さん※1が実際に床に寝そべって、ポーズを取って、モデルさんとカメラマンさんに絵作りのディレクションをしている風景ですね。

――本当は福永さんも原作者としてこの輪の中に入って、ああだこうだ言ってもよかったわけですけど、そうじゃなくてスナップを撮っているという(笑)。

福永まあ僕は作者なだけなんで、見物してるわけです。表紙の撮影ではそもそもやることがないし、ヒマなんです(笑)。ただ、僕にとっての写真は、そういう時間に生まれるもののことですね。

※1 名久井 直子さん 文芸作品を中心に、絵本や漫画などの装幀も手掛ける気鋭のブックデザイナー。福永さんの『星座から見た地球』も彼女によるデザイン。名久井さん装丁を手がけられた本の一覧はこちらから→http://booklog.jp/users/kinugoshi


流れ去った時間を
ピン止めして、記録する

――表紙撮影のときのスナップは、映画のDVD特典に入っているディレクターズカットみたいで、なんか面白いですね。

福永スナップを撮るのは普通の行為ですけど、撮っておかないと残らないですからね。忘れちゃうし、時間が経てば経つほどいいと思ってるんですね。

――ワインみたいですね(笑)。そこが面白さにもつながっていくわけですか。

福永まあ、そうですね。そういう現場的な、流れ去った時間をピン止めして、記録することができるところがスナップ写真のいいところです。

――その流れ去ってしまう一瞬性というか、唯一無二とも言い換えられる時間を残しておきたい、と。

福永撮ってるときはそこまで深く考えないですけど、「とにかく、なくなっちゃうから撮っとこう」っていう、そんな気持ちなんだと思うんです。

――使命感とまではいわないですけど、ここにいてる自分が撮っておかないとみたいな?

福永記録というのは、どこまでを記録すればいいのかわからない、キリがないものです。むしろ記録できなかったということが大半でしょう。でもそれだからこそ、面白いともいえるわけですね。たまたま1枚の写真が残っていればそれでいい。例えば、1枚の写真があれば、この後にこういうことがあったよねとか、想像で埋まるわけです。それは記憶違いを導くこともあるんですけど、それでいいんですよ。前後の時間というのがあったということが消えなければいいんです。

――まさにピン止めですね。

福永1枚のスナップが、そのときの出来事を思い出すことができる一種の装置みたいな役割を担っているというのが面白いんです。その写真とまったく無関係な人が見たときにも、やはり何かを「思い出す」んですよね。そういうところが、記念撮影的なものよりも、ライブ感があるスナップ写真のいいところだと思います。

福永 信さん

スナップを見て、
自分とは違う視点を感じる

福永これは村瀬恭子という僕がよく知ってる絵描きさんで、10年来の友人でいっしょに本もつくったことがあるんですけど、彼女が京都のグループ展※2に参加されたときについていったときの写真です。

※2 禅居庵×FOIL 現代美術作家グループ展「コン!コン!コン!」2014年4月27日(日) - 5月6日(火・祝)  大本山建仁寺塔頭 禅居庵

福永 信さん◆ 手前の後ろ姿の女性が村瀬さん。

福永彼女が作品のセッティングの指示をしている現場を撮ってるんですけど、なかなかすばらしい写真だ。

――そうですね(笑)。

福永画家は絵を見てるわけなんですが、その見てる顔は見えないんです。でも見てることはわかるでしょう。実際には写ってないけど顔が見える、想像できるところがこの写真のいいところです(笑)。村瀬さんの絵に登場する少女たちは、顔がほとんど見えないことが多いんですよね。

――それを撮影している福永さん、という構図も面白いですけどね。

福永はい。まあ、僕らしいですね。気づかれないように覗き見ているわけですから(笑)。彼女にとっては、僕はこのときいないんですよね。福永が後ろから写真を撮ってることに気づいてないから。今こうして写真を見てると、僕の視点に違いないんですけど、誰か、自分の分身みたいなのが撮ったかのような気がしますね。

――視点が少しズレてるように感じる?

福永いや、もう撮ってるときのことは忘れてるから。写真を撮るというのはそういうことかもしれませんね。しかも、僕がいなくてもそこにあっただろう光景です。別の人だって撮れたかもしれない写真でもあるわけです。それでもカメラのこちら側には自分がいたと思うことは(それは事実なんですけど)、ちょっと怖いことかもしれないですね。

福永 信さん

しゃべりながら、
自然にシャッターを押す

――お出かけするときは必ずカメラを持っていかれるんですか?

福永人と会う約束をしてるときは、持っていきますね。だから今日も持ってるわけなんです。人がいないとつまんないですね。

――確かに、こうしてスナップを拝見していると純粋な風景写真がないですもんね。

福永ううむ、1枚もありませんねえ。風景を、いいなと思ったことがないですよね、残念ながら。あまりよく見てないんです。そんなの他人が撮ったやつを見ればいいって感じで、自分では興味がないです。

――「誰かが何かをしているとき」を切り取るのが好きということでしたが、福永さんが写真を撮られているときって、被写体の人たちは撮影されていることに気づいてるんですか?

福永両方ですね。気づいてなかったのに、気づいた瞬間を撮った写真とかもあります。「撮りますよ」とは言わないので、勝手に撮るんです。こうやって話を聞きながら、「へえ」とか言いながらファインダーを見ないで撮ったりもしています。「やめてください」と言われてもやめません(笑)。まあまだ言われたことないですけど。

福永 信さん

福永 信さん

福永 信さん「へえ、そうなんですか、とか言いながら、お話しながらシャッターを押すんですよ」

福永取材なんかで出かけると、けっこうずうっと撮ってるので、そのうち周りは気にしなくなったりはしますね、とか、こうしてしゃべりながら、中川さん(=インタビュアー)を撮っちゃうわけですね。

――なんか、けっこう撮られましたね。変な感じ(笑)。
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