いまだけよろしくどうぞ。詩人、素潜り旬の到着。
以下ネタバレあり。知りたくないことがある人は読まない、もしくは心(ラブ)して読むようにしてください。
わたしが話そうとしていることについて気にすることはやめること。5分後にパードレが来ます。グザヴィエ・ドランがいつも父であることについて話すなんてガタリのティーンエイジャーがライオットしたってジャックアタリは何の関心も示さないどころか鳥が蘇るでしょうね。スパムが流行っているからって蛾を踏んづけるのはやめなさい。父が悲しみます。テレビジオンつけたって向こうの大陸の人が歌うから消すわけですよ(そういう歌があるから)。別にわたしは何かを意味することを書いているわけでもないですし、書いていないわけはないですけど、誰かを攻撃しているわけでは全くないです。そして、セットメニューやコースを1番信じていないのはわたしだという自負があります。ドランの映画のラストが素潜り旬探偵事務所の未だ公開されていないラストが共鳴しているだなんてまだわたししか知らないことですし、どうやらもうすぐパードレがビールを呑みながら日本に敢えて導かれてくる筈ですが、会えてもお気になさらず。
レストランに『美味しい料理の哲学』が置いていないのはよしとして、『シネキャピタル』が映画館に置いていないのは労働者の仕業であります。これを前提に、ハンバーグで明日のディナーショーのデモンストレーションを家でするのはピーター・ドハーティーか、さえずりを忘れた山口冨士夫あたりですが、倉庫でライブをするのはキャロルかショーケンですよね。そのあたりから黒人と白人の漫才師の歴史を遡ってみると面白いとは思うんですけど、ホンジャマカのコントを英語でやってみせた時に笑ってくれたのは観光客のみだった事実はフレンドパークでも語られなかったわけですし、観覧席にいたわたしたちのフレンドシップでしか隠せなかったわけですけど、アパマンショップには頼ってはいけませんよね。これは21世紀の教訓でありますし、ポスト・トゥルースでありながらポスト・ドゥルーズでもあります。ナムジュンパイクと名倉潤くらい違うこと(実は似ているかもしれませんね)について書く(オルタナファクト?)のもどうかと思ったので、もうやめますが、わたしは…あっ、パードレ!アフリカ化する日本の印象はどうですか?「ノマノマイェイ」