パンプアップしたジャガイモはパンパンと呼んでいる好き同士の韓国人。優しい味のレトルト食品は腹を満たす。今朝方に見初めたシャツは着ただけ気持ちが安らぐけれど、その日暮らしの生活で痛めたカラダは全く癒えやしませんなあと言いますかな。どうかな。ブラザーがどうだとか出来がどうだとか考える前に自分の昨日のことを考えるようになってからは、ここがゲットーだなんて思わなくなった代わりに、この国の月9について思い巡らすことも増えた。遊戯室で彼岸過ぎまでテレビを観ていた私たちはそれが日本のドラマか韓国のドラマかなんて区別がつかなくなってしまったけれど、ファミリーマートが映った今を観ると日本の気もする。ライターがないって行動で示した女性は多分韓国人で、俺も同じだってやってみせたのは同郷のよしみというか、ブラザーソウルって話のように、笑みで示す。俺は皆が知っての通り日本人です。それが時々怪しくなるのは、どこへ行っても暮らしができると思い込んでいるだけで本当は何にも出来ないところにある。ヒイヒイ言うわって私たちは坂を登りながらくだっていたクダンの顔をスケッチしながら家で抗争中のスクランブルエッグ(母が調理中)について語らう。白身は五限目で黄身に混ざる。混ざらないのならそれはたまごじゃなくて玉子かもしれないね。混ざることはカオスだと私たちは言うけれど、混ざらない方がカオスだとも私たちは言う。べきである。俺もそう思う。