コーラとコンビニのホットスナックで集中力を常に既に失いかけている俺たちは、せめて理性だけは失わない為にマクドナルドを安息地にしている。ポテトを3本まとめて口に入れ、カフェを爆破する為のスイッチを押す。コーラまでもマクドナルドオリジナルだと思えて仕方がない俺は、黒人が持ったピストルをチョコレートに変えてやり、三角チョコパイをブーメランにしてホワイトハウスを黒く染めた。この一連の動作を(『俺たちは天使だ』の)沖雅也のようにキメると、クーポンを使い、クォーターパウンダーを頼んだ俺は、パキスタン人の祖父の事を考え、少し涙をながしたのは、パリは今現在は燃えていないが、心のパキスタンはごうごうと燃えていたからで、オーソン・ウェルズが3回目の死を見せた時に4歳だったレイモン・ラディゲの手のひらには、貝殻がひとつあったから。喜びは災難の前に訪れ、音響はスレイデル学派のオパニウルから明らかにしていこうと教授が言う。そう、坂本龍一がジャズに寄らないのは、彼が演劇を見過ぎたからだと言ったのは、柄本明だったか、坂田明だったか、定かではないけれど、メルツが新たな観念を既にあったものから生み出せたのは、常に既にものはそこにあるからで、名前がついていないこと(例えば、素潜り旬が「例えば」から文章をはじめること)に名前をつければいいのである。