Somewhereサムホエア
その0 自己紹介にかえて 本との記憶
はじめまして。わたしは東京・文京区に住む絵描きです。ときどき早稲田のお花屋さんでお手伝いをしています。本と、本のある空間が好き という理由で、これからここで本屋さんと散歩、本のこと、その他のエッセイを絵とともにお話しさせていただくことになりました。
さて、自己紹介。の代わりに、わたしと本との記憶、をすこし書いてみたいと思います。ふり返ってみると、本とともにすごしてきた人生(30年ほど)、本との思い出はわたし自身の記録でもあるのです。
母親が図書館司書で読書家、絵本や児童書が大好きな人でした。毎晩寝る前に5分か10分ほど、母はふとんのなかで姉とわたしに絵本や、少し大きくなると読み物の読み聞かせをしてくれました。たくさんの本に出会いましたが、一番初めの記憶としてあるのは『三びきのやぎのがらがらどん』です。母はそれらの本を地元の田舎町の小さな子どもの本の古本屋さんで、店主さんと相談して買い求めてくれていたそうです。今はもうそのお店は閉じていますが、川の手前の三角屋根のお店です。なんだかすてきでしょう?
父親は勉強が趣味の人で、いつもなにかしらの本を 線をひきながら読んでいて、父の部屋の本棚にはたくさんの本が並んでいました。両親どちらの教育方針かはわかりませんが、わたしが小学3年ころになると、月に2冊、うちに本が届くようになりました。二つ上の姉は外で遊び回るのが好きなタイプで、それらの本はほとんどがわたしの読書用となりました。いわゆる“少年少女文学ナントカ”のシリーズで、世界の名作をたくさん読みました。ケストナーの『点子ちゃんとアントン』やリンドグレーンの『長くつ下のピッピ』は今でも絵や文句を覚えています・・・点子ちゃんの飼い犬の名前はピーフケっていうことだったり・・・。最後に届いた(その巻で終わりにした)『火のくつと風のサンダル』はページがさかさまの乱丁がありました。
岩手に住む母方の祖母の家は海と山が近くにあり、毎年春休み・夏休みには2週間くらい出かけていました。昔はお豆腐屋さんだった古い家の二階には、この家で育った三姉妹の本棚がありました。“世界名作ナントカ”のシリーズは、日に焼けて紙もパリパリ、値段も340円とかで時代を感じさせました。この古い、ほこりをかぶった本を、長い春休み・夏休みの間、わたしは一冊一冊大切に読みました。何人もいる いとこ集のなかでこの古い日に焼けた本を読んでいたのは恐らくわたしくらいだったように思います。ホーソンの『三つの金のりんご』や『イソップ物語』をわくわくしながら楽しく読んでいました。
大学生になり ある失恋をしたときに、男の子が撮ってくれた思い出のお台場の夕焼けの写真・・・めずらしい正方形に近いフィルムの写真を、持っているのも捨てるのもつらくて、この本棚にあったサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』のなかにはさんで置いていきました。もっと大人になって懐かしくなり、その写真を見ようと本棚へ行くと、『ライ麦畑』はなくなっていました。どうやら「さっちゃん(叔母)の本だから持ち帰ったんじゃない?」ということでした。後から さっちゃんに聞いてみても、写真は入ってなかったとのことでした。
20代前半はよしもとばななや田口ランディ、いしいしんじ、町田康、いくつかの詩人、そしてそこから河合隼雄や中沢新一、白州正子や宇野千代などの本を穴もありますが読んでいきました。日本の文化や心、世界の在り方が興味がありました。
大学在学中に図書館司書の資格をとったわたしは、その後、絵の専門学校に通いながら、学校を卒業して絵を描きながら、図書館で働きました。大学図書館や、大きな都心部の図書館、小さな田舎町の図書館、ここでまたたくさんの本と本にまつわる思い出に出会いました。絵を描く時間がうまくとれなくなってしまったことで、少し前に図書館のお仕事をやめることにしましたが、今でも一日に一回は本のある空間、書店や図書館に行かないとすっきりしません。そして、近くの喫茶店でコーヒーをのんだり、公園に出かけたりするのです(どうしても行かれないときには自宅の本棚から好きな写真集を取り出して眺めています)。
今回、この読読さんで「本屋さん紹介以外にも、図書館時代のことや好きな本のことを書いてください」と言っていただき、改めて見つめると本当にたくさんの本との記憶がわたしのなかにあったのです。いや、「あった」というよりは、ほとんどすべてかもしれません。本と本との間に生活してきた、と言ってもいいくらい、本とともにあるまだ30年ちょっとの人生なのだと感じています。これから少しずつ、わたしと本との記憶、そして大好きなちょっと散歩して、コーヒーを飲んで、本屋をのぞく、という記録をご紹介していきたいと思います。
どうぞ、よろしくお付き合いください。