神戸は、ひどく雑多な街だ。
というのが、この街で社会人3年目の春を迎える僕の率直な神戸の評価である。同じ県内に住んでいながら学生時代の生活圏は専ら大阪・京都であり、現在でも休日はあまり寄りつかない僕に、神戸の街はどこか余所余所しい。
「オシャレな港町」
というほうが、一般的な神戸のイメージに近いかもしれない。が、それは、ある部分においては正解でまたある部分においては誤りだ。そもそも、神戸は案外大きい。「港町」に該当するのは中央区のほんの一部分のエリアであり、神戸にはだだっ広い農地もあれば山中の温泉街もある。その小さな港町にさえ異人館街や中華街、怪しげな高架下商店街などが統一感なく混在している。こうした多面性を持つ街はいくらでもあるのだろう。しかし、それらが無秩序に散在する神戸の街の様相はある種パッチワーク的で、その歪さに僕は未だ慣れずにいる。
本屋「1003(センサン)」は、そんな神戸の中でもひと際混沌とした元町の南手にある。
(読読でも紹介されています。BGMの選曲がいいお店です)
小雨の降る土曜日、会社のバーベキュー大会をそこそこに切り上げて、そこで開催されたワークショップ「1003 小説創作講座」に参加してきた。小説家になりたい、というわけではなかったが、小説を書く人がどのような思考で物語を編んでいくのかにとても興味があったのである。
全3回のプログラムの初回である今回は、事前課題である130文字前後の掌編小説を自己紹介がてら発表、自分のいちばん初めの記憶を掘り起こす作業(昔住んでいた家の周りの地図を描く)、その地図から掘り起こされた記憶をエピソードとし、800〜1000字程度のエッセイを創る→次回発表という形で終了。講師である松宮宏 先生はエンターテインメントとしての小説(≠文学)を得意とし、曰く小説のジャンルによって表現に比重を置くのかストーリー構成や展開のリズム・テンポを重視するのか変わってくるとのこと(エンタメは後者を重視)。他にも「ストーリー工学」と題して、物語をつくる上での様々なポイントを教わった。
個人的には、小説にせよコラムにせよ「人が書いた文章」を読むのが好きなだけで、自分の文章や自分自身に対しても面白みをあまり見出せずにいたが、記憶を掘り起こす作業によって、案外自分の中にもコンテンツたり得るものがあるのだな、と思えたことが大きかった。その面白みを物語として伝えることがまた、難しい。どう展開させるべきかわからない。ピタリと嵌まる言葉が出てこない。文章がついつい冗長になってしまう。そういった躓きを抱えた自分の書きことばと向き合うと、原稿用紙に書き連ねた辿々しい文章が何もできない赤子のような、なんだか守り育ててやらねばならないもののように見えてきておもしろい。この子を立派な大学に入れてやりたい。願わくば、結婚式までは見届けてやりたい。
残すところ講座はあと2回。果たして僕は娘の花嫁姿を見て死ねるのだろうか。
そして、神戸の街に居場所を見つけられるのだろうか。続く。