感情的になれないのは、想像上の生き物に対してで、かといって息をしている生き物に対しては、俺は何もしてやれない。もうダメかと思うような傷でさえ、なんとか生きてきたのだから、それでよいではないか。俺はこれ以上細々とした何かを失うわけにはいかないのだ。それは、俺が何とかやっているからで、それは空気を急に吸い込んだ時の何かを失いつつあった自分に似た感覚と似ている。俺はそんな自分が俺だということ好きだ。このくだりがいいと思っている。暗い夜の顔(夜の暗い顔はしょっ引かれた知り合いの役者だ)なのかもしれないが、俺はそういったあらかじめ予定されたストームを待っていたのかもしれない。気づかせてくれた人々に感謝したい。
辛いとか、息をするとか、しっとりするような感覚に身を任せていると、それがどうってことのなくなるような感覚に怯えているのではないか。というような感覚に、怯えているという役を演じるのがうまい。誰が誰もが。
東京に住むなら、植草甚一の太ももの肉を見たことがある女性と一緒に。(サクラダダダイストのYくんの言葉を今も覚えている)