「あのアーケードだ」
「あのビルのことかな」
「あの通りを指しているのかも」
そうやって仙台の駅周辺を思い浮かべて「わかるわかる~」と感じたいがために手に取った。
ほんとうにそれだけ。
伊坂幸太郎といえば、
小説では、ふつうに生きてたら思いつかないような殺し屋の世界観があったり、
そんな展開ある?というような目まぐるしい1日があったり、
聞いたことないし、ぶっちゃけイメージ持ててませんから!という謎の生命体が出てきたり、
そんな、いつも良い意味で期待を裏切る物語を書く人は、きっと変わり者なんだろうと思っていた。
変わり者というのは語弊があるかもしれない。
一般人の私には手の届かないクリエイティブびゅんびゅんな、尊い方なんだろう、と。
正確には、そんなことをはっきり考えたことはないんだけど、
勝手に全身に埋め込まれているセンサーが「この作家は私とは遠い人間だ」という信号を出していた。
多分、「お金と時間は大事だ」「リンゴは赤いものだ」みたいなのと同じ種類の信号。
それが、仙台に暮らす伊坂幸太郎を垣間見ると、どういうことだ。
愛おしいくらいに人間らしい人間で、なんかしかもめちゃくちゃ心配性じゃないか。
タクシーの運転手さん、喫茶店で居合わせた人、身近なような遠いようないろんな人との会話で、
なんだか腑に落ちなかったり、もやもやしたり、嬉しくなったり、
そういう、「ふつう」っぽい感覚めちゃくちゃ持ってる人ではないですか。と。
仙台で喫茶店に入るたびに、伊坂幸太郎を探してしまうに違いない。
そして、もし見つけたら彼の本のことには一切言及せず、
「今日洗濯物干したまま出てきちゃったんですけど、雨降りますかねえ」みたいな話をふっかけたい。
心配ですよねえ。
そうですよねえ。
そんな風に、伊坂幸太郎とお近づきになれたと勘違いする日曜日でした。