一年前に、発売前の『夫のちんぽが入らない』についての文章を書いた。
あの時はまだ知っている人も少なかったこだまさんの文章がひとりでも多くの人に届けばいいと思っていた。
そんな心配なんてする必要がなかったみたいに、発売されてからは瞬く間に世間の話題をさらい、たくさんのメディアに取り上げられ多くの人が手に取っている様子を目の当たりにした。それからひと月ぐらいずっと嬉しさやら戸惑いやら何だかわからないもので僕の胸はいっぱいになっていた。
あれから一年、「おとちん」の出版前から始まっていた連載「Orphans」で書き継いできた短編がもうすぐ一冊の本として出版される。待ち望んでいた2冊目の単行本だ。
ひとつひとつが短くまとまっていながらも印象的なエピソードから編まれているだけあって、どれもひきが強い文章が目に飛び込んでくる。
スーパーの鮮魚コーナーを物色していた父が、一匹八十円と書かれた蟹を見て「虫より安いじゃねえか」と呟いた。
私はヤンキーと百姓が九割を占める集落で生まれ育った。
いらないものばかり付いている身体だった。
「移植した骨が消えちゃってます」
出だしだけでも穏便には済まないような出だしばかりだ。前作に続きこの本の中でも、こだまさんの日々は災難に揺れ動かされているのだ。
実家は何度も空き巣に入られ、訪問販売の餌食にあい、引越し業者でさえ鼻を押さえる「臭すぎる新居」にめぐりあい、腰骨を削ってまで移植した骨は消えてしまう…。
途方に暮れてしまいそうな出来事の連続で日常ができてしまっているのかもしれないと疑ってしまうほどに、エピソードは尽きることなく書かれていく。
そんな環境に右往左往しながらも決して屈することのない熱量は変わらず、言葉の中に流れている。ままならない現実は相変わらずなくなりはしないけれど、それらひとつひとつを丁寧に手に取り、ユーモアを忘れることなく言葉に置き換えられていくことで、可笑しく愛おしいものに昇華されているのだ。
こだまさんはこの短編たちを書きながら、自分自身との向き合い方を苦悩の日々の果てに探し当てたのではないか。きっとそうだといい。紡がれた言葉の先にこだまさんにとっての光があるのだと願いたい。
こだまさんの文章が再び本の形にまとまったことが本当に嬉しい。
「おしまいの地」で書かれたこの真摯でユーモラスな作家の言葉が、心の中で反響しながら新たな読者に寄り添うことを願いながらこの文章をおしまいにしようと思う。