大文字の火床から見下ろす京都の夜景には格別の趣がある。宝石を散らしたように贅沢なパノラマに、北は岩倉、南は向日市か長岡京市あたりまでが見え、その光量には幻惑を覚えるほどだ。そこからは人の生活域、つまり街の形がはっきりとわかる。時代を経るごとに人の活動量は増え、夜は明るくなるばかりだが、それにつれてこうした人工美は輝きを増す。
太古の昔、京都盆地は一面水で覆われ、その果ては現在の琵琶湖や大阪、奈良までひと続きの一大湖を形成していたという。現在の煌びやかな都市景観とは対照的に、その時分は山裾まで水がひたひたと打ち寄せ、夜は月だけを反映した仄黒い水面が朝を待ち侘びつつ浩々として揺らめいていたことだろう。そんななんとも優美で寂しげな風景を夢想し、私は夜空に沈んだ嵐山のあたりを眺めていた。
すると、このような考えがふと頭に浮かんできた。今、眼下に広がる市街の点滅がハレーションを引き起こし、地の底に光を溢れさせたならば、古代自然の情念を帯びた非物質の湖が姿を現すのではないか。そして、それは意図的に露出過多の写真を撮影することで再現できるのではないか。
すぐさま私はカメラを取り出して三脚に固定し、暗闇のなか、SSを20秒に設定してシャッターを切った。画像処理に時間がかかるのを疎ましく思いながら、モノクロームな画面にようやく表示された写真を見て私は驚いた。それはまぎれもない、存在の光を充満した水の広がりであったのだ。
新湖の誕生ではなく、思念による旧湖の再生として現れたそれは山を前にして白く光り輝いていた。ところどころに明かりのない緑地が黒く点在しているものの、それがかえって浸み出してきた水の様子を伺わせ、手前から吉田山、糺の森、御所といった、現実には存在しない島を生み出していた。これらは今や京都には貴重な自然の思い出である。
水は、生命現象から滲み出た、不可視の、だが確実にある「光」という存在そのものへと変化した。それによって衆生はあまねく照らされ、安寧に憩うことができる。事実、真昼にも我々の上に湖はあるのである。しかしそれは、我々の目に何も見えなくなってから見えてくる内部の湖なのだ。
盆地の北部には湖の名残と伝わる小池がわずかに点在している。その底に泳ぐ魚たちだけがこの秘密を継承してきたのではないかと私は思っている。