三本の薔薇
恋人に薔薇を三本あげた。特に深い意味もなく。ただ、待ち合わせまでには時間があったし、古典的な愛情の示し方を真似すれば非日常的で幾分楽しかろうと思ってのことだ。彼女は飛び上がって喜んでくれた。ドライフラワーにすると言う。一本は君に、一本は家族に、そして残りの一本は、部屋にある私の飲みかけのクリスタルガイザーに挿しておいてくれ給へ。云々。
閉店間際のスーパーに駆け込み、花屋のおやじに薔薇を三本、と告げた時は、どうにも自分に似合わないようで恥ずかしかった。何しろ生まれて初めて花を買ったのだ。
「真っ赤なやつをください」
何色がいいの? という問いに咄嗟に返答した時、その場で一番赤かったのは他ならぬ自分であった。ちらっと見えた白の薔薇も気にはなったが、今日じゃないという気がした。加えて、プレゼントかい? と聞かれたので、「いや包んでもらえばそれでいいのですが…」と言い終わらないうち、じゃあプレゼントだ、とニヤリ。長年花を扱ってきた者にはそんなことお見通しなのである。
鼻歌を歌いつつ、おやじは花枝の先をハサミでチョキンと切り落とし、切り口をアルミホイルで巻く。そして後ろから透明なビニールを取り出して花束を包み、端をくるくるとリボンで留める。流れるような作業だが、ひとつひとつ確実で、幼子を扱うかのように丁寧であった。見ているだけでその花への愛が伝わってくる。今どき若いのに珍しいねぇという声が、楽しげに揺れるその背中から漏れ聞こえてきた。そうして満面の笑みで手渡してくれた薔薇は言いようがないほど美しく、私はとても嬉しくなった。
一本や二本では寂しいと思い、なんとなく手頃な三本にしたが、贈り物としての薔薇の本数にはそれぞれ意味があるという。一本は「一目惚れ」で、二本は「二人だけの世界」だが、三本だと「愛しています」もしくは「告白」になるらしい。至極ストレートな花言葉だ。贈与によって表現を試みたシンプルな事実と思いがけず合致し、私は後で直感に従った自分を褒めた。
恋人の存在を知らない家族に、今頃彼女はどのように言い訳してそれを渡しているのだろうか。きっと友達にもらった、などという必ず見破られる嘘をついているか、初めから白状しているかのどちらかだろう。赤でも白でも薔薇が美しいことに変わりはないが。