折角誘って頂いたのにもかかわらず。何を書けば良いのか迷ってしまい、だいぶ長いこと放置気味でした。申し訳ない。。。これからは続けられるように何かしら書いていけたらと心を改めました。言葉足らずでも、途切れ途切れでも、唯のおしゃべりでも、、、つまり訥々(とつとつ)とでも出来たら良いなと、そう思っております。
面白い題材ではないかもしれませんが、まづはこの場を借りて書くことについて書こうかなと思います。本来、僕はそんなお喋りでも文章の才能があるわけでもなく、ちょっとだけ好きな分野のことになるとちょっと饒舌になる程度の性格です。中高時代もクラスに必ずいるであろうパっとしない、オタクでも無い、どうでもいいような存在だったと思います。現にその時代の友人が一人もいない!自分で気がついて吃驚ですが笑。そんな僕が書けることってなんでしょうね?
自分は卵を産み落とすように只々書くことしかできない、良し悪しは後から読む人が決めていく、、、というよう記事を読んだことがあります。これは武者小路実篤の言葉(違ってたらごめんなさい)。実篤はとても好きな作家の一人で朴訥な文体が妙にしっくりした時期がありました。実篤の性格はよくわかりませんが、白樺派の個人主義や自由主義の思想的支柱と呼ばれていることから割と理想家で周りを振り回すタイプなんでしょうね、文章は朴訥に見えて理想に熱いのかもしれません。最近は読んではいませんが、せかせかと忙しいふりをする最近の自分にはとても必要な成分なのではとふと気がつきます。
これは自身のありのままを自由に書くということでしょうか。ん?目の前の事を文章に起こしていけば誰でも詩が書けるんだと言ったのは正岡子規でしたかね?いや、それよりもこれはポールオースターが何かの小説の中で書いていた「言葉でスケッチする練習」に近い気がしますね。これなら日々のことを文章に起こしていけそうです。
あら、どうやら書くことに少し自信が持ててきました。そんなに難しく考えなくても良さそうです。内容の保証はできませんが実篤先生に習って書き続けるしかありません。結局題材は決まりませんでしたが、今回は書くことについては少しまとまりました。次回の題材を今決めておくのもいいかもしれません。そうですね、、、「言葉でスケッチ」をしてみましょう。いやー、難しそうだなあ。。。