2019-08-24
第二時大戦終盤の1944年8月22日。
沖縄から本土に向かった疎開船「対馬丸」が、米潜水艦に撃沈されました。
乗船していた約1,500人が死亡、その半数は学童疎開の子ども達。
沈没後も救助は行われず、筏などに掴まった子どもは数日間漂流して、生死の境をさまよう恐ろしい体験をします。
最終的に助かった人は約280名、そのうち児童は59名。元の1割以下でした。
沈没は軍により極秘とされ、生き残った子ども達も口外せぬよう固く命じられます。
事件が知られるようになったのは戦後15年も後、また海中の対馬丸が発見されたのは1997年でした。
戦争を始める時、政府は国民を守るため・愛する人を守るための戦いだと言うでしょう。
しかし戦争になれば、政府の体面を守るために国民の命が犠牲となり、愛する人やこども達も無残に殺される…今も海中に眠る対馬丸が、その事を静かに訴えているように思うのです。