神戸・灘 王子公園

古本屋ワールドエンズ・ガーデン

フルホンヤワールドエンズ・ガーデン

TEL078-779-9389 HPhttp://d.hatena.ne.jp/worldends-garden/ 最寄り駅JR「灘」、阪急「王子公園」
営業時間11:00〜20:00 定休日毎月第三火曜
このエントリーをはてなブックマークに追加
ノンフィク  BE KOBE 震災から20年、できたこと、できなかったこと

¥1728
出版社:ポプラ社

 不貞腐れた顔でヘッドホンの中の世界を居場所にしていた。しかし、別に世間を拗ねていたわけではなく、ただ、そうしたポーズが格好いいと思っていたからだ。読めもしない小林秀雄や柄谷行人やサルトルの本を開いては、文字を目で追っていた。格好いいと思っていたからだ。部屋の壁にはグラビアアイドルのポスターではなく、『レザボア・ドッグス』のポスターを貼った。もちろん恰好いいと思っていたからだ。十代の私はそのような面倒な子供だった。
 しかし、そんな自分が高級な人間だと根拠もなく信じて疑わず、その実質量を伴わない、風船ガムのように肥大した自意識は、その年の1月17日早朝、大きな揺れと共にはじけ、霧散した。未明に感じた激震と、テレビの中の倒壊した高速道路、焼け落ちる家屋、正視に耐えない惨状が地続きの出来事であることにショックを受け、現実に引き戻された。

 「BE KOBEとは、阪神・淡路大震災以降に、神戸に生まれた教訓や知恵を共有し、外に向けて発信することで、市民が誇りを持ち、世界に貢献できる街となることを目指す取り組み、です」『BE KOBE 震災から20年、できたこと、できなかったこと』(ポプラ社)はそんな一文からはじまる。正直、いかにも役所の主導による、耳触りのいい言葉で糖衣されたお題目だと思った。私は子供用の錠剤薬のような震災教訓本が読みたくて、本を開いたのではない。少々意地が悪いのだが、「できなかったこと」にこそ興味があった。しかし、本文を読み進めるとすぐに、この本はそのようなは性質の本ではないことが分かる。
 本書あとがきに、「角が取れて、つるりときれいに丸まった標語やスローガンからは、ほとんど何も感じ取ることができない」「だから、私たちは一人一人の、個人的な震災の話を聞こうと思った」「震災から20年を歩んできたこの街の姿は、かれらの言葉の中にある。神戸が学んできたことは、人の中にこそある」とある。綴られているのは、世代・立場・境遇の異なる一〇組一三人の個別の物語であり、ここに語られている言葉はすべて個人の肉声であり、その実体を持った言葉に、何度も胸を打った。
 
 インタビューという手法は、言うまでもなく話し手と聞き手によって成立する。当然ながら話し手は聞き手のことを思い、話す。相手がどのような考えなのか、理解度なのか、こんな話はセクハラにならないか、どんな話が聞きたいのか。すべては話し手と聞き手の関係による。
 震災20年を受けて、メディアでは「残す」「語り継ぐ」という言葉を多く目にした。残し語り継ぐには、どうするのか?大きな音量で遠くまで運ぶためにはノイズを排除する必要がある。必然「角が取れて、つるりときれいに丸まった」言葉になってしまう。言葉を精査し選ぶと、とたんに個名を失い、匿名の言葉になってしまうのだ。 
 「語り継ぐ」「残す」とは、記録し、整理して頭脳に一極集約するのではなく、個別の記憶を、細胞レベルで結合し共有することではないだろうか。言うまでもなく、細胞とは我々固有の名を持つ個人のことだ。あなたにしか話せない言葉もあるし、あなたにしか聞けない言葉もある。今だから話せる、聞ける言葉もある。あるいはこれから語られるのを待っている言葉があるのかもしれない。
 
 さて、冒頭の痛々しい私の物語は、果たして、すっかり質量なりのサイズで地に落ち着いていた。相変わらずヘッドホンをして本を読んでいたが、今度はポーズではなく切実な理由をもって理解しようと気張った。『レザボア・ドッグス』はそっと外した。この劇的ながら小さな変化は、こうして言葉にしなければ誰も気づくことはなかっただろう。
 さて、この愚にもつかない物語も、聞き手を得ることでもう少しマシな物語になるだろうか。しかと神戸と震災の物語のひとつになるだろうか。そんなことを本書巻末に収録されている青山大介さんの『港町神戸鳥瞰図』を眺め、思う。