大阪・心斎橋

Bar Liseur

バー リズール

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教養 その他  忘れられた日本人


著 者:宮本常一
出版社:岩波書店

なんとなーく当然のように受け入れいている「歴史」だけれど、成立するための「元ネタ」は当然あります。誰かが書き残した「文献」です。そうした資料の研究の結果、歴史が編纂されます。
 書き記されるのはたいていチョー重要なコトです。大化の改新とか本能寺の変とか明治維新とか世界大戦とかいろいろ。それを書き記した人もメッチャ頭がよく、大抵は地位が低くはない方々です。で、それを研究する人も例外はあるけれどもほぼ100パーセントはカシコです。おまけに、編纂作業はそのときの政治体制が意識的にも無意識的にも反映されます。結果、偏ります。上に。「歴史は勝者がつくる」的な感じになります。
 けれど、「下々のみなさん」(by麻生太郎)だって生きています。たかが金と権力を持っているだけのやんごとなき方たちに命令されてポイ捨てされるだけの道具ではありません。世界はもっと複雑なもののはずです。きっと。
 ところが、そうした人たちを描くための元ネタは非常に少ないです。そりゃそうです。「トミゴロウじいさんが島の港を開くときエラク苦労した」なんて、わざわざ書きゃしないし、そんなモン誰も読みゃしません。そこで注目されるのが、文字によらずに受け継がれたモノ。まあ、古老の体験談やら、古くからの言い伝えやら、地域に伝わる習慣やら、ふっるいけれど便利な道具やらです。
 おそろしくザクっと言うと、そうした「非文献」の資料を重要視するのが「民俗学」です。(民俗学も文献使うし、歴史学の手法も進んでるし、そもそも簡単にこの2つを分けられないし、などということはここでは措いときます)
 で、宮本常一『忘れられた日本人』です。著者は「司馬遼太郎が唯一恐れた人」とも言われるほどの民俗学者。歩いた距離は地球4周分とも言われています。出版されたのは、1960年と高度経済成長まっただなか。「貧乏な人も働きゃハッピーになれるゼ。みんな一緒に発展しようゼ」みたいな空気の中でガムシャラに働き、結果的に日本全国が均一化されることになります。宮本常一は、有無を言わせぬハッピーでヤッピーな空気に危機感を抱きました。そこで、地方で切り捨てられ、消え去る運命を負ってしまうことになった「文字によらない文化」の豊穣さを訴える形で、この本を世に問うたのです。
 内容は自分の祖父も含めた古老の聞き書きです。あとがきを入れて14の章に分かれていますが、一番有名なのは『土佐源氏』。馬を世話する「馬喰」のおじいちゃんのエロ談義です。初体験から生涯最高の恋まで、まあ、あけすけに語っております。確認していないけれど、初版時はエロすぎて伏せ字になっていたとかいないとか。が、これほどの恋愛物語はアラフォーの今までお目にかかったことはありません。「泣ける!」とかいうあざとい帯が巻かれちゃったり、悲恋の道具立てとして不治の病が無駄に登場しちゃったり、異常な嗜虐者のイケメンの犯罪的所業になぜかヒロインが萌えて「コレ単なるDV礼賛話じゃね?」と勘ぐっちゃったりするような、そんじょそこらの煩悩丸出しラブラブいちゃいちゃストーリーなんか吹き飛ばすほどの破壊力を持っています。著者ヤベーです。『土佐源氏』のほかにも話がいろいろと載っていますが、個人的には「トミゴロウじいさんが島の港を開くときエラク苦労した」様子を描いた『梶田富五郎翁』がカッチョええです。
 宮本常一の著書を読むと、最近巷ではびこる、何事も単純化して語りがちなやんごとない方々の叫ぶテメエ本位な「美しい日本の歴史」的なタワゴトが何とも薄っぺらく感じます。彼らが罹患している気味の悪い病に毒されないためには、目を開き、耳を傾け、話をし、触れ合わなければなりません。自らが当然のように思っていた「事実」がいかに一面的なものか、平凡に眺めていた「社会」がどんなに深いものか、関係ないと思い込んでいた「他者」がどれだけ面白いものか・・・。
 『忘れられた日本人』は、宮本常一の最高傑作だけれど、ありがたいことに誰でも読めるように書かれています。自分の思い込みを「しょーもな」と気づかせてくれる一冊になります。